物見台と空堀
物見台(小沢峰)と空堀
この先の階段を登った場所が物見台(小沢峰)と言われています。現在は樹木に覆われ展望がありませんが、当時は江戸から秩父方面まで関八州が広く見渡せたものと思います。その後昭和になってこの付近を八州園と呼びにぎわった時代がありました。小沢峰の北側は絶壁が続き当時は山裾には多摩川本流が流れていて、自然の要害となっていたにもかかわらず更に山の斜面を掘って「空掘」とし敵の侵入を防いだところです。またこのような空堀は浅間山の東側にも設けられています。
小沢城址里山の会
物見台(小沢峰)と空堀
この先の階段を登った場所が物見台(小沢峰)と言われています。現在は樹木に覆われ展望がありませんが、当時は江戸から秩父方面まで関八州が広く見渡せたものと思います。その後昭和になってこの付近を八州園と呼びにぎわった時代がありました。小沢峰の北側は絶壁が続き当時は山裾には多摩川本流が流れていて、自然の要害となっていたにもかかわらず更に山の斜面を掘って「空掘」とし敵の侵入を防いだところです。またこのような空堀は浅間山の東側にも設けられています。
小沢城址里山の会
【公式】小沢城址里山の会
小沢城址里山の会は川崎市環境局緑政課(現在は建設緑政局緑政課)主催により平成12年11月に開催された里山ボランテイア育成講座に参加し、その趣旨に賛同した有志が主体となり、平成13年4月7日に発足しました。貴重な里山の自然を守りながら、年間活動計画をもとに緑地管理作業を行っています。
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